2018.1.14メッセージ導入

宣教題「神の業が現れるため」

聖書箇所 ヨハネ9章1〜12節

 

 皆さんは、何か悪いことが起こったとき、自分が何か悪いことをしたからではないかと考えないでしょうか。また場合によっては、自分ではなく、家族が何か悪いことをしたからではないかと考えることもあるでしょう。私たちは、何かが起こるとその原因を探し、見つけなければ納得いかないように思います。しかし私たちの人生には、原因がわからないことが多々起こるのです。

 因果応報という考え方は、2000年前のユダヤ社会においても、存在していました。障がいを持って生まれてくること、病気になること、災害に遭うこと、すべてその人や家族が罪を犯したからだと考えられたのです。そんな災難に遭わないために、神を信じ、神の戒めを守ることが大切なのだと教えられていたのです。しかし私たちの人生とは、災難に遭わない事だけが大切なのでしょうか。未来のことが全くわからない私たちが、その安全策だけを考えるとき、萎縮した人生を生きてしまう可能性があります。私たちは、どう生きるのか。聖書から聴いてみたいと思います。