2018.3.18メッセージ導入
宣教題「誰が引き渡したのか」
聖書箇所 マルコによる福音書14章18〜21節

皆さんは、誰かを利用することはないでしょうか。ちょっと自分が得をするために、誰かの名前を使ったり、逆に自分を守るために、知人との関係性を否定することもあります。しかし良く考えるなら、それは大きな問題があるように思います。相手にはわからないから良いだろう。けれどもいかなる時も、他者を利用するということは、軽い気持ちでも、大きな間違いになるように思います。軽い気持ちが大きくなるとき、それは他者の犠牲の上に、自分があることになります。イエスが十字架に向かうちょっと前に起こった食事の場面より、私たちは自分とはどのような者なのか、そしてどう生きたらよいのかを考えてみたいと思います。